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枡合(ますあい)(大屋根正面)
天の岩戸
枡合(大屋根左)
神功皇后・応神天皇を平産す
枡合(大屋根右)
神武天皇東征
枡合(小屋根正面)
矢作橋の出会い
枡合(小屋根左)
村上彦四郎義光、錦の御旗奪還
枡合(小屋根右)
壇ノ浦合戦、義経八艘飛び
懸魚(けぎょ)(小屋根)
波に浦島太郎
懸魚(大屋根)
波に千鳥 御来光
枡組み
 

※写真をクリックすると、拡大表示します。

 天照大神は弟神素盞鳴尊の度び重なる暴挙を怒り、天の岩戸にお隠れになり天地は闇となった。八百万神々は困り果て相談した結果、笛や太鼓を奏し、天鈿女命に踊りを踊らせ、常世長鳴鳥を鳴かせて大神を誘い出そうとした。大神は外は闇である筈が皆は何故楽しく騒いでいるのであろうかと思われ、少し岩戸を開けて見られたところを力持ちの天手力男命が岩戸を開いて大神を外へ出し、天地に再び光が戻ったという。

 神日本盤彦命は大和平定のため、日向国を東へ海路数年を経て紀伊国熊野に上陸し、大和を目指したが、道中険しい山中に入り行路を阻まれた。その折八咫烏という霊長が現れ、この導きにより無事大和に入られた。大和に入った命は幾多の戦を重ねるが、長髄彦征伐の激戦の時、金色の鵄が飛来し御弓の上弼に止った。大和勢はその光にに目が眩み繊維を失し降伏する。この後命は大和橿原に於て即位され人皇初代神武帝となる。

  寺を出た日吉が矢作橋の袂で寝ている所、蜂須賀郷の野武士の頭領蜂須賀彦左衛門と出会う。

 大塔宮護親王は、赤坂城が落城した後、山伏姿に変装して熊野、十津川より吉野をめざしていたが、熊野の欲心強盛な八庄司どもが、大塔宮を捕まえて幕府の恩賞にあずかろうとしていた。芋瀬の庄司は大塔宮の行手を遮ろうとしたが、大塔宮の威光におそれいり、激しく戦ったふりをするための証しとして錦旗を賜りたいと願い出た。大塔宮は仕方なく旗を渡して芋瀬を通った。   村上彦四郎義光父子は、大塔宮の一行に急ぎ追いつこうと芋瀬を通ると、芋瀬の庄司は具合の悪いことにばったり出会ってしまう。義光は芋瀬の下人が手にしている錦旗のゆえんを問いただし激怒した。「こはそも何事ぞ!かたじけなくも天子の御子が、朝敵追討の御門出を遮って、汝等ごとき奴ばらが、錦旗にてをかけようとは許さん!」義光は、錦旗を奮い取り、旗を持っていた下人を放り投げ、芋瀬の者どもを散々に懲らしめて宮の一行に追いついた。錦旗が戻った一行の歓喜は言うまでもない。

 幼き安徳帝を奉じ、屋島の戦に敗れて西へ逃れる平家軍は、文治元年(1185年)三月二十四日壇ノ浦にて義経の追撃を受け源平最後の決戦となった。この戦の中で平家の勇将教経は義経を討って、死ぬ覚悟で義経の船に近寄るが、義経は組み付かれてはならじと兵船を飛び移って身をかわした。この俊敏さに最早これまでと傷を負った教経は海に身を投じる。この決戦によって奢る平家は滅び去る。